Gpedia?「対」で考えるのではなく知識の増量を歓迎しよう
「グーグル」対「ウィキペディア」、ではなく
グーグルはよく使う。と同時にウィキペディアもよく使う。
グーグルに尋ねると、ウィキペディアに訊け、とよく言われるからだろうか。
しかし、そんな時代もいずれなくなってしまうのだろうか…
どうやらグーグルは、ウィキペディアに取って代わる百科事典を創ろうとしているらしい。。
POLAR BEAR BLOG: Google 版 Wikipedia 「Knol」 発表
グーグル、「Wikipedia」対抗サービスを開発中:ニュース - CNET Japan
直感で抱いてしまうイメージは、グーグル対ウィキペディア、となろうが、文字通りということではなかろう。
グーグルはウィキペディアの成功要因をきちんと理解している筈だ。
だからこそ、自らがウィキペディアのクローンを作ろう、ウィキペディアっぽいコミュニティを作ろう、という気はさらさらないように思える。
「ボランティア」対「富の配分」、ではなく
コンテンツの見返りについて、が一人歩きした挙げ句に暴走しないかどうか心配するところ。
グーグルは富(広告の売り上げ)の配分というニンジンをぶらさげているようにだけしか見えなくなってしまう。
今のところ判明しているのは、Googleがそれぞれのページについて広告収入を著作者に分配するとしていることだけだ。
TechCrunch Japanese アーカイブ » GoogleのKnolは「やりすぎ」か?
対する?ウィキペディアにはボランティアへの見返りは金銭面では、ない。あるのはいい記事を書いたことに対する賞賛というカタチなきものだ。
…ウェブ2・0における最もめざましい成果は、「ネット上で誰もが自由に編集に参加できる百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)である。「群衆の叡智」を集積するウィキペディアが、オープンソース同様、非営利プロジェクトであることはきわめて示羿的で本質的である。
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)(六八頁)
この文章の後、ウィキペディアの非営利プロジェクトを貫き広告掲載や資金調達と、不特定多数との信頼関係に悩むウィキペディア創設者ジミー・ウェールズの悩ましい姿を想像させる記述があるが、今回のKnolに対して世界で一番悩んでいるのはウェールズではないだろうか。
Knolの存在を察知してか、ただ単なる偶然か、梅田さんの前述が記憶に新しかった頃に次のニュースを見て、何だかウィキペディアがそろそろ動き出したんだ、ちょっとその動き方には警戒して見極めなきゃな、と思った出来事があった。小さな出来事だが、大きく発展する可能性を秘めた動きではないだろうかと思う。
Wikipediaへの貢献者に、初めて金銭的な報酬が支払われることになったそうだ。ただしテキストの執筆ではなく、イラストの貢献に限られるとのこと。
スラッシュドット ジャパン Wikipedia、イラストの貢献者に金銭で謝礼開始
非常に限定的にせよ、悩めるウェールズが再び思い浮かべられる。
イラストの次は写真か。ならばテキストもいずれ必然的に流れを受け入れるのだろうか。
後手を踏んではグーグルという巨大な怪物に一気にのみ込まれてしまわれる。
さぁどうする、ウェールズ。答えは分かっているよね?
…「知識を提供することで対価を得る」という行為を可能にする仕組みは、ネットに知識を流入させる上で欠かせないと思います。
…一方で、「お金というインセンティブの負の側面を考えなければならない」「Wikipedia への参加者が減り、質の低下を招くのではないか(最悪の場合は共倒れ?)」といった不安もあると思います。…
POLAR BEAR BLOG Google 版 Wikipedia 「Knol」 発表
誰もが優秀なウィキペディアンを賞賛し、その対価をお金で、と考えてもおかしくない。
むしろリアル社会では当たり前の発想だが、対価がないからこそコミュニティをうまく均衡保つことだってあり得る…それがリアル社会との違いなのだろうか。
もしGoogleの検索結果のトップの何件かがWikipediaでなくKnolに取って代わられたらWikipediaのトラフィックは減少する。そうなると全体としてWikipediaへの参加活動も減少するという影響が出かねない。
TechCrunch Japanese アーカイブ » GoogleのKnolは「やりすぎ」か?
これが共倒れのシナリオとならぬことを祈る。
一方で、共存の可能性にコインを投じる既存のメディア評も。
BusinessWeekは、Google's Knol: No Wikipedia Killerで、Googleのknolはウィキペディアキラーではないとみている。…人々は、New York Timesと個人ブログ、両方を読むように、Wikipediaとknol、両方を求めるだろう、としている。
スラッシュドット ジャパン | GooglのKNOLは、ウィキペディアの脅威になりうるか?
僕も、この見解に近い派だ。きちんと棲み分けされて共存していくだろう。
早とちりにグーグル対ウィキペディアと前提して考えてしまってはイケナイ見極めが必要だ。
グーグルに翻弄。でも「やりすぎ」対「やりすぎでない」、ではなく
しかしそれにしてもグーグルは凡人に理解不能な策を超スピードで僕(ら)を翻弄する。
グーグルが何ものなのかをだいたい理解し、影響する経済についての規模観が「広告産業のサブセット」程度だとわかったとき、…
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)(四八頁)
と
グーグルはサーチエンジンの技術開発部門をもっていますから、その意味ではIT企業と呼べるでしょう。しかし、その技術を用いて展開しているのは、あくまで広告サービス事業です。
21世紀の国富論(八八頁)
の
最近2冊から発せられたメッセージから、僕たちに見えないようで見えているグーグルの姿と本質をどう理解するか、問われているのだろう。
テクノロジーと資金力を梃子に、ウェブの全てのカテゴリを支配する定めにあると信じきっている(かどうか分からないが、そう見える)グーグル。
買収したユーチューブも富の配分をオープンにして、「もう一つの地球」ではなく「自分たちの地球」を構築する光景を想像してしまうのは僕だけなんだろうか。
YouTubeには「YouTube Partner Program」というのがあり、YouTubeの中で上位にランキングされるムービーを投稿したクリエイターには広告収入が分配されていたそうです。今まではごく一部のプロにしか適用されていませんでしたが、今日から一般のユーザーにも条件付きで開放されるそうです
YouTube、ついにムービー投稿者に広告収入の分配を開始 - GIGAZINE
SNSの分野では、かつてのマイクロソフトがブラウザ覇者を争う為に、何が何でもという意思を持って挑んだネットスケープ潰しを彷彿させるフェースブッック潰し(オウンゴールも最近あったが…)も、これまた疑い過ぎか…正常なマーケットシェアの主導権争いであり、競争によりエンドユーザに選択肢や恩恵がきちんとある、それだけの話題なんだろうか。
「グーグル vs フェースブック」の対決が鮮明になってきた。さて2008年の今頃,どうなっているやら。
メディア・パブ グーグル vs フェースブックの対決が鮮明に,逆風のFacebookに一転追い風が
ウェブは案外儲からない。タダが多すぎる。最初はタダだが、圧倒的シェアを制した後は、課金が来るのではないかという恐れや警戒心を抱きかねないネタがここにも…
…Google Checkoutが…「取引手数料無料」キャンペーンを2008年1月まで延長したのだ。
…明らかに赤字覚悟のシェア獲得戦略だ。
…
誰か独禁法の弁護士を呼んでくれ。
TechCrunch Japanese アーカイブ » Google Checkout、取引手数料無料でシェア拡大へ
誰か呼べる人いる?(笑)
マイクロソフトは、あまりに過剰はマーケット制覇や行いに法廷での醜い争いを避けられず、瞬間風速でグーグルなるニューリーダーにやられた(のかな?)。
グーグルも、ダブルクリック買収に目をつけられ、法廷争いが長引くことで時代を繰り返し、二の舞にならぬことを祈る。だって、グーグルない生活は今の僕にはあり得ないから。。
GoogleのDoubleClick買収についての審査の期限は12月13日までとなっていたが、延長された。一方で、欧州委員会は買収提案の審査について2008年4月2日までに最終的な判断を下すとしている。
グーグルのダブルクリック買収審理にFTC委員長は不適切--プライバシー関連団体が指摘ニュース - CNET Japan
グーグルのKnolは「やりすぎ」だろうか?それ以上にグーグルの最近の行いは「やりすぎ」ではなかろうか?
勿論、ここにある情報だけで全てを判断することはできない。
「やりすぎ」か否かは歴史が決断を下すことになっている(かな?)。
GoogleのKnolは「やりすぎ」だろうか?
競争で得られる知識の増量を歓迎しよう
池田さんがKnolの「やりすぎ」か否かについて匿名性を引き合いにしてハッキリとこうおっしゃる。
現在のWikipediaは「無法者の楽園」に堕していると思うので、競争が起こるのは歓迎だ。
賛否両論で成り立つ世の中である。正解はない。
色々な意見に耳を傾けたいものだ。
僕としては泳ぎきれない情報の海の量が、知らず感じず増えていくことは大歓迎。いつか辿り着くかも知れない「知りたい情報」に出会える楽しみがまた1つ増えたのだから。