怒りのエネルギー変換過程を愉しむ

「ウェブだけでやってくれればいいのに」

相変わらず学術界の動きはトロイ。論文を出して、査読を待っている間に、もう何を書いたか忘れてしまって、帰ってきた頃に大変な思いをする。

査読でacceptされてから正式に出版されるまでに時間がかかる。この論文も「Available online 21 May 2008. 」となっているけど、まだ出版されていない。

もういい加減、紙の出版に拘らずに、ウェブだけでやってくれればいいのに。

最新の論文だと思って読んでいる論文は、実は2年前の研究成果なんですよ、大半は。そんな状態で、フェアな競争なんかできないですよね。(古くからいる奴が勝つに決まってるじゃん。)


論文、ようやく出版へ。 - shibataismの日記

「世界中の読者が読むほうがはるかにdebuggingの効果は高い」

すでに自然科学の世界では、論文が主になっている。それもかつては査読つきの学会誌に掲載されないと業績と認められなかったが、最近ではPerelmanがarXivに投稿したディスカッションペーパーがフィールズ賞の授賞対象になった(本人は拒否)。経済学でも、有名な論文はDPで世界中を流通し、IDEASで参照される。数人のレフェリーが査読するより、世界中の読者が読むほうがはるかにdebuggingの効果は高い。特に経済学の場合、マクロ政策の論文が 3年後にEconometricaに載っても役に立たないし、ミクロの「定理/証明」論文は、教職を得るための数学技術のデモ以外の意味はほとんどない。


インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - 池田信夫 blog

怒りの矛先と反対側にある世界への期待感は本質的に同じ様な気がして、この「怒りを創造性に結びつける」ために自分が出来ることとは一体何だろうか、ウェブやテクノロジーを梃子にどうやってあるべき姿に持っていけるか、、このテーマを対象にすると色々と考えることが多い。

梅田 …本来こうあるべきなのが何かの理由でそうなっていない、それに対して怒る。

茂木 怒りを創造性に結びつけると、すごくいいものができる。


フューチャリスト宣言 (ちくま新書)


組織力と資金力で、はたまた老舗と新興企業とのタッグにより、えいやと業界を覆す可能性のあるサービスが不安を伴いつつそれ以上の期待感で頭角を現し始めたばかり。

こうして見ると、「GoogleWikipedia」というよりは、「オンライン学術論文作成プラットフォーム」(?)という感じ。Wiki を手軽に編集する、というのではなくて、何人かで集まって1つの論文を作り上げる/人々の評価を仰ぐ、という感じかなぁと思います。


POLAR BEAR BLOG: Google 版 Wikipedia knol 一般公開

カーネギーメロン大学が Lulu.com と協力して「アカデミックでオープンソースでマルチメディアな出版」を目指す ETC-Press というのを始めている。出版物をクリエイティブ・コモンズのライセンスで公開ということみたい。


カーネギーメロン大学とLulu.comがCC出版で協力 - YAMDAS現更新履歴


ここに描かれている世界や考え方が、理屈なしに当たり前と受け入れられる日はきっといつか来るんだろう。
が、いつ、と明確に天地がひっくり返るのではなく、いつの間にか、ゆるやかに。
気が付けば古い枠組みにしがみついていることが呼吸困難だと気付くんだろう。
その時過去を振り返ると、今このエントリをどう懐かしめるか、馬鹿馬鹿しかったと嘲笑えるか。


未熟でも世に問い続けることで、エネルギーの変換工程を愉しんで、未来予想図を妄想したい。