第1回 SPARC Japan セミナー2008「研究成果発表の手段としての学術誌の将来」に参加した
未だ4日しか経っていないのだが、こういうのはすぐアップしなきゃ…鮮度が大切。
だけれどやっとのことで火曜日の東京を今頃振り返る。
id:simpleAさんとランチをし、id:taknakayamaさんとディナーをする合間、SPARC Japan主催のセミナーに参加してきました。
第1回 SPARC Japan セミナー2008
「研究成果発表の手段としての学術誌の将来」平成20年4月22日(火)13:30〜16:30
国立情報学研究所 12階会議室
概要
学術情報流通における情報伝達の方法、コスト、理念等々について、研究者、図書館、学会等で、それぞれの立場から様々な論議が提出され、また同時に国レベルでの政治的決断も行われている昨今です。オ−プンアクセスという、ひとつのアクセス手段が最良な方法であるかどうかは、歴史が決着を付けるものなのかもしれません。
さて、SPARC Japanセミナ−2008第1回は、「学術誌は、今後も存在していくのか」という欧米ではすでに提示されつつあるテ−マを取り上げ、総論としてのご講演を、千葉大学 土屋俊教授に、数学、物理分野からの各論を、北海道大学 行木孝夫助教、電気通信大学植田憲一教授にそれぞれお願いしています。冊子からデジタルコンテンツへの変革は、「オ−プンアクセスの可能性を提示する」に留まらず、現状のピアレビュー システムをも変革するのでしょうか?昨年、Natureにより行われた「オ−プンピアレビュ−」は、近未来の評価システムとして実際に機能するのでしょうか?
ただ、もう既に詳細レポートがアップされてます。
読ませて頂きましたが、ここに書かれていることが全てです。
併せて読んで頂ければ幸いです。
昨日の宣言どおり、今日はNIIで開催されたSPARC JAPANセミナー2008に参加してきました。
…今日のSPARC JAPANセミナーも90名ほどの方が参加されたという盛況ぶり。
めちゃくちゃ面白そうなテーマだったのでそれも然り、といった感じ。
以下、いつものように簡単にレビューを。
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「研究成果発表の手段としての学術誌の将来」・・・SPARC JAPANセミナー2008に行ってきた - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
「研究成果発表の手段としての学術誌の将来」というイベント@国立情報学研究所に行ってきました。備忘のためにメモを記録。
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同じ空間に居ただなんて…お会いできなくってホント残念でしたが次回は必ず。
お2人にはお会い出来ませんでしたが、先日研究会*1でご挨拶させて頂いた、ユサコの増田さんにお会いできました。:-)
いやしかし、id:min2-flyさんさすが…タイプのスピードが尋常ではありません(まぁ、例の件はしょうがないとして(笑))。
今回セミナー参加者は商業出版社や学会の方が多い、と司会の永井さん(日本動物学会)がおっしゃられていましたが、そうした方々に対して強い口調で「自分のジャーナルをどうするか、学会が考えてこなかった。これを考えよう」と危機感強く訴えていたのがとても印象な出だしでした。
id:min2-flyさんのメモ書きにもありますが「(XMLをどうやってつくるか、については)日本はお粗末な状況」等、大変厳しい口調で講演がスタート。
◆雑誌論文が研究成果発表の手段であるのはいつまでか (土屋 俊)
千葉大学の土屋先生が初っぱなから講演要旨のタイトルに対してズバリ答える。
「どうせいつかはダメになるんだ、と思ってもらっていい。どこでダメになるのかが楽しみだ。」
…唖然。。
まぁ、先生の独特のユーモアであってプレゼン最後では「論文雑誌に将来がないわけではないが、学術研究成果のごく一部になるものだ」と結ばれており、雑誌というメディアに膨大な費用がかけられる時代は終焉を迎えるだろう、と警告している。
現状に対する不満や問題提起が強く感じられるし、でもじゃぁどういう方向に向かっていくんだ!いこう!ってビジョンが示されればより良かったなぁと思った次第です(偉そうですが…)。。
◆数学系ジャーナルの過去と現在、これから (行木 孝夫)
さて、数学分野から行木先生登場。自分と同じ分野出身の方が登場するというのはただでさえワクワクする。
同じ分野と言っても、行木先生は北海道大学大学院理学研究院数学部門に在籍されており、上述の様に自分を横に並べるのは恐れ多いのだが。。
「… 数学分野において学術論文という形態にはなじまないと考えられる…」と要旨に記載あるように、数学はとは具体的な「もの」を扱わない抽象的な「もの」であり、論文という域を超えて動画共有やソフトウェア(コード等)を念頭に今後の学術情報コミュニケーションについて論じられた、といった感じ。
動画共有については、海外の数学関連研究所では当然のサービスになりつつあり、国内でも東京大学数理科学研究科や日本数学会等が徐々に対応してきているものの、アーカイブへのメタデータをどう付与するのか等問題点も解説されていた。
土屋先生が学術雑誌の将来について語られたのなら、行木先生は研究成果の公表手段としての論文という形式の将来について語られたのかな、という比較はちょっと強引だけれど、論文というペーパーベースから、動画やソフトウェアといったカタチで形態が徐々に変化するだろう、とまとめられている。
プレゼン中に頻出していたTEXとMathMLについて。
…数学者、コンピュータ科学者であるドナルド・クヌースにより作られた組版処理ソフトウェアである。
正しくはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/TeX:image=http://upload.wikimedia.org/math/c/1/3/c130b546193fdf4057bad418bdaecfbc.pngと表記するが、それができない場合には TeX と表記する。
TeX はギリシア文字の ΤΕΧ(タウ・エプシロン・キー)であるから、「テックス」ではなく、「テッハ」と「テッカ」の中間(正しく発音すると鏡が曇る)のように発音するのが正しい。しかしそのような発音は難しいので、クヌースは「テック」と読んでも構わないとしている。日本では「テック」または「テフ」という読み方が広まっている。
そう、テフって読みます。
MathMLの解説ページで歴史とか例を読んだ方が比較できて分かり易いかも。
Mathematical Markup Language(MathML、マスエムエル)は、XMLアプリケーションの一つで、数式を記述するためのマークアップ言語である。単体では数式の記述しかできないため、文書として利用するにはXHTMLに埋め込んでXHTML文書として扱うなどする。
コンピュータ上で数式を記述する要求はウェブが普及する前からあった。なかでもTeXは有名でかつよく使われており、数式の表記方法としてもテキストのみで表記せざるを得ないときなどに用いられる他、ウィキペディアを含むウィキ等での数式を表現する手段として今日でもよく使われている。しかし、HTML上で数式を表現する手段がなく、ウェブで数式を表現するには画像にするか、PDFなどHTML以外の形式にすることが多い。
数式を美しく見せるというこだわりについて質疑応答があり、TeXは数式を美しく表現するもののウェブに持ってくるならMathMLがうまくやってのける点について「(数学者同士の)共通言語として数式を使うのであって、揺らぎや誤解が生じる範囲内であれば表現としての美しさには問題がない」という見解が述べられた。
この辺りは奥が深いのでいずれ別エントリで勉強して理解を深めたいな、と思います。
◆物理系ピアレビュージャーナルとオープンアクセス (植田 憲一)
さてトリは物理系より植田先生。改めて講演要旨を確認。
物理系では論文投稿と同時にプレプリントを配布して出版以前にも研究成果 をコミュニティーに知らせる習慣があり、高エネルギー物理を中心としてオン ライン上で内容が公開されるarXiv.orgが重要な役割を果たしている。学術活動 におけるピアレビュージャーナルの意味とその多様化について検討する。…
そう、物理学と云えばプレプリントをアーカイブするarXiv.orgが当然出てくる。:-)
arXiv.orgにとっての論文掲載の基準が解説され、無審査論文誌だからといって論文の質が悪いわけではない、というスタンスに共感。
だからと云ってピアレビュージャーナルを否定しているワケでもなく、むしろ
「最も公平で政党な科学的判定機構」とか「最もパブリックな評価システム」と評した上で、レビューの仕組みについては「水平であることが重要」「偉い先生ではなく現役に依頼するべき」等自論を述べられていた。
ピアレビューはボランティアベースであり、対等な関係が求められる
* 自然科学の下では、人はみな平等
* しかし日本では「えらい先生」の査読が多い
* 欧米では、若い現役の教授に依頼する+レビュアー経験も業績としてカウントされる
あと気になったのはid:kany1120さんもエントリ最後で触れられている「シングルコピーであるべきだ」という主張。
ここでやっと著作権の問題が論じられる。
「オンライン上で1つの論文があれば良い、という発想がある」という話も出て、その流れで「オンライン出版、インターネット配信により、著作権が著者に回帰するのでは」ということを、仰っていました。
グーテンベルグによる大量印刷技術の発明、ゼロックスによるコピー機の発明、そしてインターネットの出現にともなうデジタル化とコピー配信について歴史を振り返り、「オンライン出版とインターネット配信は長期的に見れば避けられない傾向であると考えている一方で、これは著者への回帰現象では」と。
また、インターネットの波に逆らうのではなく波にうまく乗ったヨイ事例として、紙を持たないオンラインジャーナル「SISSA online publishing」が紹介された。
科学者自らが立ち上げたオープンアクセスジャーナルで、ジャーナルの価格高騰に対抗して「こんなんだったら自分たちでやってやろう」と僅か10名のスタッフで5誌の電子ジャーナルを運営しているそう。
ここにも共感したのは云うまでもない。
…と、まとめではないのでまとまりのないが、以上で3つの講演気になるところメモといった感じ。
司会の永井さんが聴衆をうまく引き寄せた感あって、講演後の質疑応答が白熱して、話題としても面白かったのはこちら。
質疑の中では一つには「public review(peer review前の論文をいきなりwebに挙げて公開でコメントを求める形式)がなぜうまくいかない(あんまりコメントつかないそうだ)のか?」みたいな話が個人的に面白かった。
植田先生からは「コミュニティに自分が責任を持っている、と感じている人がコメントをするといいレビューになるが、それがwebの(割と無責任な)文化と合わないのでは?」という見解が示され、うまいことフィルターかけてやる必要がある、みたいなことが言われ。
一方で日本化学会の林さん(フロアー)からは「研究者の世代による習慣の差もあるのでは?」と言うことも言われていた。
「下世話に言えば、今2ちゃんねるに書き込みをするような人たちが研究者に増えれば、openなpeer reviewも回り出すのでは」と。
「研究成果発表の手段としての学術誌の将来」・・・SPARC JAPANセミナー2008に行ってきた - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
所謂パブリックレビュー。インタラクティブなレビューをやりましょうって試みは幾つかあるんだけど、Natureの失敗から見受けられるようにコメント内容のクオリティが問題である、と。
日本は日本独自の文化で学術情報コミュニケーションが発展していっていいワケだし、はてブや2ちゃんやニコ動といった一見偏った?文化が育まれているけど、こうした文化をベースに、欧米の仕組みを融合させてオリジナリティを醸し出すのもヨイのではないか、と自己完結して白熱した会場を後に恵比寿へ向かったワケです。
ならばmyopenarchive.orgは結構いい線行ってるんじゃないか?とか自己満足の世界に浸るワケですが(笑)、冗談半分、研究会とセミナー立て続けに参加して思ったのは、やはり各種ウェブサービスに慣れ親しんだ(若者に限らない)人々が、もうちょっと敷居を低くして遠慮がちな日本人特有の遠慮のなさをうまく吐き出せるプラットホームは存在してイケナイわけではないし、あると楽しいだろうし、そうした自由投稿・自由コメントがどんどん遺伝すると、受験勉強で燃え尽きてしまって大学でやりたいことを見出せない能力の高い学生をちょっとは興奮させられるだろうし、研究って面白いって熱が列島を縦断すれば、新しい発想やアイデアやビジネスの芽がどんどん膨らむかも、と妄想しつつ、妄想のイメージはこんな感じで。:-)
こんな調子で今度は学術情報コミュニケーションの分野にも炊きつけするぞ!(笑)