論文サイトに対する皆の意見を聞いて


id:yohmeiさんに教えて頂いたid:higeponさんのエントリーで、今やっている学術論文共有サイトの必要性が身体に充満し、俄然やる気が出てきた。
教えて頂き、またコメントやりとりして頂き、お2人どうもありがとう。:-)

やはりこういう意見は多々見受けられるし、ニーズはあるんだ、と。

自分は学生でも学者でもないのですが論文を読んでいて、その論文に軽い気持ちで突っ込みたいって時はどうされているんでしょう?

「ここの図が間違っているよ」とか「この部分はユニークで好きだ」「ここは理解が難しい」とか。その論文を読んできた全ての人で共有されるようなものがあるのだろうか。

イメージとして論文がブログで、つっこみがコメント的な。

論文に対するコメント - ひげぽん OSとか作っちゃうかMona-


通常、論文への「つっこみ」は、その研究者を取り巻く人のみで構成されていて、不特定多数によるコメントや評価付けってあまりない(最近は電子ジャーナル等が対応しつつあるが、やはり非常に限定的)。
ブログ慣れした人々なんかは特にこうした不特定多数により意見が反映される仕組みは皆必要性を感じてるだろう。そう、単なるオープンだけを追求するのではなく、共有し、そこからまた発展性を持たせる意味でのオープンさこそがこれから支持されていくと思う。


id:min2-flyさんのエントリーのコメント欄でも、やはりこうした現状とあるべき姿のギャップについてやりとりがなされているので、良いFAQ事例としてちょっと長いが引用しておこう。
id:chintaro3さんが抱く疑問やid:higeponさんの要求を持つ層は、潜在的に大きいと思う。

>今時なんでインターネットで論文を公表するのが主流にならないのか

いろいろ理由は考えられますが・・・なんで電子ジャーナルが無料化されないのか、と言う点について言えば出版コストがかかるから、ってのが一番の理由かと。
学術雑誌の場合、著者に原稿料とかは入らないのですが(むしろ投稿料とられたりしますが)、一方で編集の他に査読者見つけてピアレビューをうまく機能させたりしなきゃいけないので・・・まあ具体的にどこにどれだけコストがかかって、というのはなかなか明らかではありませんが・・・

そもそもなんでこんだけネットが普及しても学術雑誌に掲載することでの公開モデルから抜け出せないのか、という点については、研究者にとって学術雑誌での論文発表が単なる「発表」の手段ではなく、研究者あるいは研究内容の「評価」にも関わるものである、というのが理由の一つと考えられます。
査読付きのジャーナルにどれだけ論文が掲載されたか、あるいは有名雑誌にどれだけ論文が掲載されたか、というのは論文の被引用回数とあわせて研究者評価の大きな指標の一つなので・・・なかなかそこから抜け出せない、特に評価に飢えている若手はどうしても査読誌への投稿モデルから踏み出しにくい、というのがあります。

最近だと機関リポジトリ(研究者の所属機関が学術雑誌に掲載された論文も含めて研究成果を収集・公開する試み)もありますし、著者自身が雑誌掲載論文を自分のwebページで公開している例などもあるので無料で見れる学術雑誌掲載論文の数も増えてきているとは思いますが・・・著作権の絡みとかもあって、とりあえず国内についてはまだ進んでいるとは言えない状況でしょうか・・・(千葉大/北大あたりが例外的にすっ飛んでますが)
この先、学術雑誌(紙媒体の雑誌という意味ではなく、電子版も含めたある「雑誌タイトル」)に頼らないモデルでの学術情報流通が普及するかどうか、普及するとしたらどういうモデルが考えられるか、と言うのを考えるのはなかなか楽しくはありますが・・・今すぐどうこう、というわけにはちょっといかなさそうです。
なーんて言っててあっさり状況が変わるかも知れないから油断は禁物ですが。

それは、図書館があった方が安くつくからだよ - かたつむりは電子図書館の夢をみるか


「あっさり状況が変わるかも知れな」可能性あるモデルを追及したいのだ。でなければいつまで経っても状況から抜けられない。
既存のステークホルダーに遠慮しなくてよい立場にあるのだから、破壊的とまで言わないにせよ、望まれているものを形成していきたいものだ。

何も過去や現在を否定してるわけではない。これから先の在り様について、一度ゼロベースで、思いっきりユーザ(著者であり、閲覧者であり)視点で見直してみようと問題提起してるんだ。

日本物理学会が,同学会の代表的学術雑誌である,Journal of the Physical Society of Japanにハイブリッド型OAのサービスを提供すると発表していました。名称は,「OPEN SELECT」で,JPSJに論文を受理されたあるいはすでに刊行した著者は,追加料金を支払うことで,当該論文をオープンアクセスにすることができます。

Open Access Japan | オープンアクセスジャパン - 日本物理学会,JPSJにハイブリッド型OAを導入


これは誰の為にやるのだろうか?否定はしない。だが、こういう取り組みに誰が満足するものだろう?言い方を変えよう。誰を満足させたいのだろう?
こういった時、「ユーザの視点に立った」ウェブサービスの必要性を痛切に感じる。

過去や現在をスライドさせて「新しい」と思わせる動きは活発で、目眩ましをくらっていては本当の新しいステージになかなか移行できない。音楽でいうナップスターや、映像でいうユーチューブを理想に置いて、発案者の意気込みとしては破壊的にやっていきたい。


ところで、じゃぁ業績等の評価につながらないならば研究者は何を拠り所にオープンさを理解しオープンアーカイブのようなサービスを利用してもらうのか。
id:higeponさんにご指摘頂いたサービスを利用するユーザに対する「インセンティブ」の視点、なかったワケではないけれど一言で言い切れない自分に凹んだ。一方で、本当にこれがインセンティブかと自問するキッカケにもなり、ゼロベースで「オープンアーカイブ」を利用するメリットやインセンティブ、他との差別化ポイントは何か、を見つめなおしている。も少し整理したらオープンにしていこう。そこでするどいつっこみを入れてもらい、より良いものにしていきたい。


話がそれてしまったけれど、id:higeponさんのエントリーにトラックバックしているid:next49さんのエントリーで、とてもありがたいご意見を聞くことができた。具体的要求まであり、こういう意見は素直に嬉しい気分。

たぶん、ないです。学術論文のシェアやフリーアクセスという概念とは別に、学術論文をより身近に利用しやすいものにするためには、上記のような「その論文を読んできた全ての人で共有されるようなもの」が必要だと思う。…

そういう仕組みへの要求は以下のとおり。

* その論文がどこで手に入れられるかすぐにわかる
* その論文の概要が読める
* その論文を既に読み終わった人がどう判断しているのかわかる(./J的のモデレーション項目で充分だと思う)
* 一言コメントがつけられる(コメント)
* 参考文献、被参考文献間で自動的にリンクが張られていてほしい

論文感想共有の仕組み - 発声練習


了解です。こういうニーズをもっと色々な方からコメント頂きたいです。自分のブログで吠えてるだけでは中々集まらないコメントも、こういう方々のブログを巡回して、いいアイデア反映させたい。今回は貴重なご意見、ありがとうございます。

そして、このエントリーで勇気付けられたのは「たぶん」と但し書きあるものの「ないです」とおっしゃられてる点。存在しないもので、且つ「あるのだろうか」とニーズを感じることができるサービス開発に携わっていることを誇りに思い、そして何とかご支持頂けるようやっていきたい。


更にもう1つ。やはりid:yohmeiさんに教えて頂いたエントリーも、出発点は違えど、最終的なニーズは似ているのだ。

一個抽象的な分類分けっていうのが必要な分野だと思うんすよ。論文検索は。だからタグ付けだったりコメント付けが出来る科学系SNSや論文ソーシャルブックマークには期待してます。

論文検索、フォーマット、科学系SNSについて - new monet blog


id:yohmeinaokishibayamaさんコメント欄で応援頂き、ありがとうございました。

「あ、そんな論文あるんすか?」という状況を打開したい、ホント。

そう、どきっとする、新しい視点と出会える、だからこそ業績とか知名度って部分からはほど遠いところに位置し、学部生や大学院生が気軽に論文投稿し、新しい世代の視点でまとめられた知識の集合体から、次の時代の種や芽が1つでも花咲くことを夢見て頑張ります。


オープンアーカイブが目指すのは、電子ジャーナルや機関リポジトリやCiNii等でオープンアクセス可能となる、その先を見据えての活動だってことを、もっとうまく説明せねばならない。
音楽や映像がクリエイティブ・コモンズによる著作権概念をベースに、より創造的な活動が活発になっているのと同様、未完成ではあるが可能性のある論文が他の誰かに加筆・修正されることにより新しい発見となり、原作者が日の目を浴びるような期待感あるプラットフォームを目指したい。
論文の投稿をお願いするとよくある回答に「私のなんて人様にお見せできるもんじゃないよ」的発言多いのですが、もしかしたらオープンにすることにより、得るものの方が多いかも知れないってことに期待感を抱かないのだろうかという不思議。。「こんなに知識レベルが浅いのか」や「こんなこと前から分かっていたことだ」と突っ込まれるネガティブな想像力は頗るよろしいが、是非、せっかくの知識の集体系を、未来の誰かにリレーするつもりでオープンにして欲しいなぁと願う。